昨年、日本と世界のアート界における衝撃的なニュースが飛び込んできた。
「ZOZOTOWNの前澤氏がオークションで新記録 バスキアの作品を過去最高額123億円で」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170519-00010001-bfj-cul

 

失礼なことを言うと、一見落書きにしか見えない本作品。
ピカソや現代アートの作品を見て、なぜこれがアートなの?なぜこんな高値で売られているの?
と誰もが一度は疑問に思ったことがあるのではないだろうか。
 

さて、本書はアートと資本主義の話。
先程の疑問、アートの価値はどうやって決まるのか?という疑問に対し、「東京画廊」代表の山本豊津氏が一定の回答をくれる。
その回答は資本主義というシステムの真理を突いたものであり、ドラマティカルだ。
 

「使用価値」が低いものほど「交換価値」が高くなるパラドックス

学校ではものの価格は需要と供給で決まると習った。となると「使用価値」、つまり役に立つものほど需要が大きく、価格が上がると思う。
しかし、アートは正直なところ、日常で何の役にも立たない。
商品同士を交換する時のレートを「交換価値」というが、なんと役に立たない、つまり「使用価値」が低いもののほうが「交換価値」が高くなるのだ。
この「使用価値」と「交換価値」の乖離を、本書ではお金という例で鮮やかに説明してくれている。
 

今流行している「仮想通貨」もまさにこの通りではないかと思う。
(一応決済手段としての「使用価値」はあるが、まだ普及していない)
アートという切り口から、資本主義の矛盾を見事に突いている。
 

美術というのは歴史と文化の蓄積の中で生まれてきた価値の体系で、その中で意味を持つものです。

これは珠玉の一言だ。
 

著者が衝撃を受けた作品として、フォンタナの「空間概念 期待」が挙げられている。
キャンヴァスに切り込みをいれただけの作品だ。
 


https://www.nichibun-g.co.jp/column/education/k-bi-museum/k-bi-museum006/
高校美術教科書「美・創造へ1」P25掲載 大原美術館蔵
 

さて、例えば今わたしがキャンヴァスに切り込みを入れた作品を世界に発表したとする。
しかし、それは何の価値もないということだ。(パクリじゃなかったとしても)
 

キャンヴァスは絵の素材でしかなかったが、布という素材そのものがアートであると。
フォンタナ以前と以後で明らかにパラダイムの転換が起こっている。
これは過去の歴史の文化の蓄積があったうえで、誰もやっていないタイミングで発表され、
コンテキスト、ストーリーを持つから価値を持つのだということだ。
前述のバスキア、同時代のアンディ・ウォーホルもそういうことである。
 

ちなみに、アートを買うにはアートフェアなどで5万円ほどから購入可能らしい。
行ってみるか。